先日2013年11月9日、TAIYO33OSAKA実行委員会は解散しました。
それにあたり、TAIYO33OSAKAでの活動を通して感じた事、これからの展望などを、
TAIYO33OSAKA実行委員にインタビューしてみました。
まずは第一弾として、下記の6名の実行委員のインタビュー記事をアップしています。是非ご覧下さい。
名前 | 大西 寛行 |
---|---|
年齢 | 34歳 |
職業 | エンジニア |
2011年10月です。きっかけは、TAIYO33OSAKAのイベントをユーストリーム中継できないかと相談されたことです。
大阪のアンダーグラウンドな音楽好きから市民運動の活動家、年齢層高めのおじさん、名古屋から通っている女の子など色んな人がいて、
それだけで凄いエネルギーを感じた。何人か知り合いも居たので、少しほっとした。
イベントのユーストリーム中継や広報。
ユーストリーム中継は配信以外にもカメラマンや機材の手配など。
広報は映像、ポスター、チラシ、Twitter、Facebookの取りまとめ的な事。
やっている間はあまりそういった充実感は感じなかった。プレイベントが終わっても太陽大感謝祭という最終目標があったので、反省の連続だった。
喜びを感じたのは太陽大感謝祭を実現できたこと。感じたのも終わって半年ぐらい経ってからくらい。
イベントを通して勉強することが多く、自分の生き方がこれでいいのかと疑問を感じたこと。
PAOS!でアサダワタルさんも話していてすごく共感できたんだけど、仕事とプライベートでやっている事が違い過ぎて精神状態がおかしくなった。(アサダさんもそれで自分で仕事を作り始めたらしい)
僕も2012/4まではサラリーマンで、33のように社会にアクション起こすようなラジカルな社風でもなく、
保守的ですごくつまらなかった。食うためだけに、今のキャリアにしがみ付くのもな~と非常に悶々として自己批判もあり辛かった。
3月3日もユーストリーム中継を担当しました。プレイベントで協力してもらった、七尾旅人のカメラマンの粟屋君、
東京でPoolSideNagayaという屋号で映像制作している河合君二人にカメラマンを依頼して、
プロジェクト福島の森さんに機材借りてと33を通してつながった仲間勢揃い感に感動した。
太陽大感謝祭終了直後、ちちんぷいぷいで取材してくれた野々山さんもいれて映像チーム4人で乾杯した時の皆の笑顔が
最高で、忘れられない。記念写真取っておけば良かった。。
【5】でも言ってますが、今までのキャリアを一旦ストップして、新たな道を模索し始めてます。
ユーストや広報を仕事にするにはあまりに力不足なのでそれはないですが、社会人として8年間経験を積んできたコーティング技術を活かして面白く、
社会にインパクトのあるプロジェクトを企画して仕事にしていこうと考えています。
TAIYO33OSAKAの第一期は終了しました。太陽大感謝祭を定期的に開催する団体にもならなくなりました。
けど、TAIYO33OSAKAは一過性のイベントではなく、時代を超えて「これでええの?」と常に自分自身に何かを問いかけてくると思います。
自分も含めてそういった人が増えていけば、色んな意味で過渡期の日本はいい方向に向かうはず。
名前 | 入江 徹也 |
---|---|
年齢 | 30 |
職業 | ぞうきん |
元々PIKA☆が好きで、ライブによく行っていました。
原発や高江など社会への共通意識も感じ、親しくなりだしたころに震災があり、そのままいっしょに関わらせいただきました○
白熱。真剣でした。
境目なく人が混じり、意見を交わすことで
"ぐわっ"とウズまくエネルギーみたいのが、すごかったです。
ウズウズしました。
デザイン、33シアター、TAIYO33BIGBAND。
33のロゴやCDのデザイン、ステッカーやバッヂづくりなどをしました。
エジプトレコードでの33シアターの企画や運営をしました。
33のことを想って、いろいろ考えているとき、
とてもわくわく、たのしかったです。喜びでした。
思い描いているものを共有・表現して、
反応を感じるとき、うれしかったです。
BIGBANDでのライブが、特におおきな喜びでした♪
当時は会社に通いながらだったので、寝れませんでした!笑
やりたい気持ちほど、できないところもあり、
そのギャップが悩ましかったです。
お祭りのときのみんなのキラッキラの笑顔が忘れられません!宝物!大感謝!
自分にできることは?足りてないことは?と向き合って気づいて、
行動すること、やりきること。学びました。
衣食住やエネルギーを自らつくることをはじめました。
仲間たちに出会えたことがなによりも宝です。はい。
これからは奈良の桜井市、長谷寺の古民家に移り、おやすみ処をひらきます。
安心できる空間・まちを育んでいきます。
いろいろ試します、あそびます。あそびにきてねっ
名前 | 川久保 彬雅 |
---|---|
年齢 | 30歳 |
職業 | 理学療法士 |
2012年の8月頃から。正式には10月頃かな。
きっかけは、2012年のプロジェクトfukushimaにてPikaさんと出会ったことがきっかけです。
純粋で素敵な人たちが集まったんだなあ、と。
担当は財務。
業務内容は祭りに関わるお金の計算など金庫番のようなもの。
やりがいというより、皆さんからいただいた大切なお金を考えなければならない、という責任感が非常に強かったです。
最終的に、お金の収支がおかしな方向へ行かなかったことが喜びです。
財務の二人でいろいろと作業したことは良い思い出です。
祭りに必要なお金が確保できるのかどうかをずっと心配していたことです。
また、各担当がどのようにお金を使うのか、を把握することも非常に気を遣ってしまい疲れたところはあります。
とにかく楽しかった。人が生み出す力強さを新しく改めて感じました。
祭りを終えたから変化が生まれた、というより実行委員をはじめ様々な人との出会いがあって、僕は変化してきています。
これまでの生活では出会うことのなかった、全然違う分野の人たちがいろんなことに対して僕と同じことを思い、
しかし、それぞれの表現で生きていることに非常に影響を受けました。
そこから、自分の仕事や社会への違和感を表現するために思考・表現することへの自信が生まれました。ここからいろんなことが始まっています。
生きることは表現である、ということを強く感じたので、その感情を自分の心の軸としながら生きていたいと思っています。
そして、人の精神は、想像不可能な変容できる可能性にあふれていることを体験できたので、
これから更なる精神の創造性を自ら体験したいと思っています。
これらは今の自分が従事している医療の世界にも通じることです。全てはつながっていて、まとまらないのですから。
名前 | 伊藤 幸 |
---|---|
年齢 | 37 |
職業 | 主婦兼バイト |
2012年3月。
沖縄でのティダノワ祭に旦那さんと行って「私らも何かしたい!」とスイッチが入りました。
みんな本気で日本を良くしたいと思ってる!!
財務。お金の管理や月々の収支報告。
最終的にお金が残せたこと。協賛、出店、カンパ頂いた方々に心から感謝しています。
数字が苦手だったので、収支出す時いつも頭真っ白になってました。
今思い出しても涙が出そうになるくらい、最高の日でした。
あの場にいれた事、関われた事が宝物です!!
情報や人の意見をすぐ鵜呑みにせず、自分の意見を持つようになりました。
33メンバーにもいろんな意見の人がいて、そんな生の声を聞けたのがとても良かったです。
一人一人が目覚めて変わろうとする事が、水面下で他の人にも影響すると思いました。
「エネルギーはここにある、アンタが太陽」という言葉が改めて心に響きます。
まだまだ世の中いろんな事がある、私なりに目を向け行動したいです。アンタが太陽、ワタシも太陽!!
名前 | 伊藤 繁 |
---|---|
年齢 | 30歳 |
職業 | 音楽講師 |
2012年3月中旬に参加しました。
きっかけは2012年3月11日に沖縄の名護でUA主催のお祭り、ティダノワへ行き、
それまで気にしていた震災の事、原発の事に対して意識の変化が明確に生まれ、大阪でも何かしたいと思い見つけたのが33でした。
同じ意識の人が集まった、なんでも話せる場所。
会計手伝い。
1000人ドラムのドラマー集め、連絡、管理。
太陽大感謝祭と1000人ドラム!
色々な人と連絡をとってまとめる作業が自分のスケジュールと同時進行で忙しく、たまにしんどい時がありました。
始まりの日!奇跡の一日!!
社会や政治に対して興味をもてるようになり自分の考えや意志が明確になった。
33で知り合った仲間を大事にしていきたい。
名前 | べっぷみお |
---|---|
年齢 | 26 |
職業 | うたう人○&&&●あるく本屋((虹書房)) |
2011年10月頃。きっかけはPIKA☆さんのTwitterを見て参加したいと思ったことから。
☆キラキラ☆
人事部の仕事をしていました。内容は新しく入って下さったメンバーや既存のメンバーとのやりとりをしていました。
(各イベントの参加の是非などを管理。)
もう一つ!子どもの王国で音楽を担当させてもらいました◎^^◎
人とつながることが面白い!と思うようになれたこと。
つらかったことはない!です。
楽しかった。あの時間◎
祭を終えたからこう変わったとかは特になく、、ただ、変化は常にあります。
地に足をつけて生きて行くこと、目指す!
この度、先日、平成28年12月21日付で
TAIYO33OSAKAの活動資金の残金 417,038円 に +1円 して、
417,039円を以下の3箇所に分けて 各13万9013円 ずつを寄付させていただきました。
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故による
放射能汚染からのこどもたちの保養キャンプ支援
http://55wakuwaku.jugem.jp/?eid=12
シリア・アレッポへの食料緊急支援
http://ja.wfp.org/
被災された方への義援金
http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_15416.html
太陽大感謝祭 開催より3年半以上が経ち、東日本大震災から来年で6年になろうとしています、
以上の寄付先はTAIYO33OSAKAの活動で得た学びや出会いを通じて2016年の今現在の状況を考えて決めさせていただきました。
この寄付でTAIYO33OSAKAに関わって頂いたみなさんのお金が誰かの助けや幸いになることを望みます。
素晴らしい体験と学びをありがとうございました。
TAIYO33OSAKA