名前 大西 寛行
年齢 34歳
職業 エンジニア

【1】TAIYO33OSAKA実行委員には、いつ参加しましたか? 又、参加のきっかけは何でしたか?

2011年10月です。きっかけは、TAIYO33OSAKAのイベントをユーストリーム中継できないかと相談されたことです。

【2】参加した当時の、33の第一印象を教えて下さい。

大阪のアンダーグラウンドな音楽好きから市民運動の活動家、年齢層高めのおじさん、名古屋から通っている女の子など色んな人がいて、
それだけで凄いエネルギーを感じた。何人か知り合いも居たので、少しほっとした。

【3】実行委員内での担当は何でしたか? 又、簡単に業務内容を教えて下さい。

イベントのユーストリーム中継や広報。
ユーストリーム中継は配信以外にもカメラマンや機材の手配など。
広報は映像、ポスター、チラシ、Twitter、Facebookの取りまとめ的な事。

【4】その中で、最もやりがいや喜びを感じたことは何でしたか?

やっている間はあまりそういった充実感は感じなかった。プレイベントが終わっても太陽大感謝祭という最終目標があったので、反省の連続だった。
喜びを感じたのは太陽大感謝祭を実現できたこと。感じたのも終わって半年ぐらい経ってからくらい。

【5】逆に、一番辛かったことは何でしたか?

イベントを通して勉強することが多く、自分の生き方がこれでいいのかと疑問を感じたこと。
PAOS!でアサダワタルさんも話していてすごく共感できたんだけど、仕事とプライベートでやっている事が違い過ぎて精神状態がおかしくなった。(アサダさんもそれで自分で仕事を作り始めたらしい)
僕も2012/4まではサラリーマンで、33のように社会にアクション起こすようなラジカルな社風でもなく、
保守的ですごくつまらなかった。食うためだけに、今のキャリアにしがみ付くのもな~と非常に悶々として自己批判もあり辛かった。

【6】2013年3月3日の太陽大感謝祭@万博記念公園の感想を教えて下さい。

3月3日もユーストリーム中継を担当しました。プレイベントで協力してもらった、七尾旅人のカメラマンの粟屋君、
東京でPoolSideNagayaという屋号で映像制作している河合君二人にカメラマンを依頼して、
プロジェクト福島の森さんに機材借りてと33を通してつながった仲間勢揃い感に感動した。
太陽大感謝祭終了直後、ちちんぷいぷいで取材してくれた野々山さんもいれて映像チーム4人で乾杯した時の皆の笑顔が
最高で、忘れられない。記念写真取っておけば良かった。。

【7】TAIYO33OSAKAに参加し、祭を終え、自分自身に変化がありましたか?あれば具体的に教えて下さい。

【5】でも言ってますが、今までのキャリアを一旦ストップして、新たな道を模索し始めてます。
ユーストや広報を仕事にするにはあまりに力不足なのでそれはないですが、社会人として8年間経験を積んできたコーティング技術を活かして面白く、
社会にインパクトのあるプロジェクトを企画して仕事にしていこうと考えています。

【8】最後に、活動全体の感想や、個人の今後の展望など、ご自由にお願いします。

TAIYO33OSAKAの第一期は終了しました。太陽大感謝祭を定期的に開催する団体にもならなくなりました。
けど、TAIYO33OSAKAは一過性のイベントではなく、時代を超えて「これでええの?」と常に自分自身に何かを問いかけてくると思います。
自分も含めてそういった人が増えていけば、色んな意味で過渡期の日本はいい方向に向かうはず。