名前 川久保 彬雅
年齢 30歳
職業 理学療法士

【1】TAIYO33OSAKA実行委員には、いつ参加しましたか? 又、参加のきっかけは何でしたか?

2012年の8月頃から。正式には10月頃かな。
きっかけは、2012年のプロジェクトfukushimaにてPikaさんと出会ったことがきっかけです。

【2】参加した当時の、33の第一印象を教えて下さい。

純粋で素敵な人たちが集まったんだなあ、と。

【3】実行委員内での担当は何でしたか? 又、簡単に業務内容を教えて下さい。

担当は財務。
業務内容は祭りに関わるお金の計算など金庫番のようなもの。

【4】その中で、最もやりがいや喜びを感じたことは何でしたか?

やりがいというより、皆さんからいただいた大切なお金を考えなければならない、という責任感が非常に強かったです。
最終的に、お金の収支がおかしな方向へ行かなかったことが喜びです。
財務の二人でいろいろと作業したことは良い思い出です。

【5】逆に、一番辛かったことは何でしたか?

祭りに必要なお金が確保できるのかどうかをずっと心配していたことです。
また、各担当がどのようにお金を使うのか、を把握することも非常に気を遣ってしまい疲れたところはあります。

【6】2013年3月3日の太陽大感謝祭@万博記念公園の感想を教えて下さい。

とにかく楽しかった。人が生み出す力強さを新しく改めて感じました。

【7】TAIYO33OSAKAに参加し、祭を終え、自分自身に変化がありましたか?あれば具体的に教えて下さい。

祭りを終えたから変化が生まれた、というより実行委員をはじめ様々な人との出会いがあって、僕は変化してきています。
これまでの生活では出会うことのなかった、全然違う分野の人たちがいろんなことに対して僕と同じことを思い、
しかし、それぞれの表現で生きていることに非常に影響を受けました。
そこから、自分の仕事や社会への違和感を表現するために思考・表現することへの自信が生まれました。ここからいろんなことが始まっています。

【8】最後に、活動全体の感想や、個人の今後の展望など、ご自由にお願いします。

生きることは表現である、ということを強く感じたので、その感情を自分の心の軸としながら生きていたいと思っています。
そして、人の精神は、想像不可能な変容できる可能性にあふれていることを体験できたので、
これから更なる精神の創造性を自ら体験したいと思っています。
これらは今の自分が従事している医療の世界にも通じることです。全てはつながっていて、まとまらないのですから。